スウェインのサブストーリー

「旅・風・人」〜Tabi Kaze Bito〜

 

序章 第1章 第2章 第3章 第4章   第5章  

 

「序章」

 神と悪魔の住まいし、温かくも冷たき大地。
 数々の戦乱と激動を経て、全てが荒廃の一途をたどる大陸。
 人と魔物が相争う、光なき混沌と深淵の螺旋。

 ガディウス・ワールド。

 神の背に作られしこの世界は、その神話の由来をもって、いつしかそう呼ばれた。

 そう、それは天空と大地がともに朱く染まっていた頃。
 神の子孫と悪魔の眷属との戦いが果てるともなく続く、古の神話の終焉。
 そして、数々の勇者の伝承がうまれ英雄の伝説が語り継がれた、人の時代の黎明。

 いつ明けるとも知れぬ深い闇と暗黒の中で、光明と光芒を心から求めた力なき人々は、 大陸史の最も灼熱した渦の中にいた。

 されば紡がん。
 かの大陸にかつて生まれでた、一人の青年の旅の戦記を今。

 

「第1章 旅立」

 人々が踊り、叫んでいる。その輪の中央では赤々とした炎が、時折割れるような気持ちのいい音を響かせて、漆黒の星空にその片割れを吸い取られ続けている。
 今日はスウェインの生まれた村の、年に一度の収穫祭だった。

 この村には名前がない。東の民の国の国境沿い、首都の北西にある小さな小さな、そして変わった村だ。
 由来ははるか古、東の民と西の民とが争い始めた時代。ただ戦うことを宿命づけられた一つの部族があった。
 今は名も忘れ去られたその部族は、大陸の各地に散らばった今もなお、その宿命に縛られつづけている。
「あらゆる戦場で戦いつづけ、あらゆる外敵を討ち滅ぼす」。荒んだ戦乱の時代の中でそう役割を定められた人々。
 そう、そんな「戦士」たちの村の中の、ここは一つであった。

「よう、スウェイン。なにしけた顔してやがる」
 祭の輪の外で、膝を抱えたまま炎だけを眺めていたスウェインは、酒瓶片手に近づいていた赤ら顔の男に声をかけられた。その顔の真っ赤さは、自分の赤毛の髪といい勝負かもしれない。スウェインはふとそう考えたが、それは正確であったかどうか。
 実はスウェインには両親がいない。彼らは愛すべき我が子の出生を見届けるとほぼ同時に他界してしまっている。原因は魔物たちの襲撃だったという。そんなこともあって、彼は村の中でもずっと一人ぼっちだった。
「ジェイスおじさん……」
「お前も来いよ。そんなところでうずくまってばかりじゃなくてよ」
「だって、僕……」
 スウェインのつぶやきを聞いて、ジェイスと呼ばれた男は「やれやれ」とばかりに肩をすくめてから、まだ残っていた酒を一気にあおると地面に放り捨てた。それを見て、日頃口やかましいとの評判の長老トンラ婆が眉をしかめる。だがすぐににこやかな表情に戻ったのは、今日が一年に一度の祭りだからに違いない。
 ちなみにジェイスは見かけは初老だが、ほんとの年齢は誰も知らない。なぜなら彼の髪の毛はとっくの昔から禿げあがってしまっていたからだ。スウェインが生まれた十数年前から彼の頭はずっとこうだった。
「だいたい地面と炎ばかり見ていてなにが楽しいんだ」
「だって……」
「いいか、世の中にはこんなにも人がいるんだぞ。ここだけじゃない、この国の首都はさながら人が博物館みたいにあふれかえってやがるんだ。……いや、どっちかって言うと八百屋か海鮮市場かな」
 炎のせいか、それとも単に酔っているだけか、とにかく真っ赤な顔の禿げた男は不謹慎極まりないことを言った。そしてどっかとスウェインの隣に腰を下ろす。
「まあどちらでもいい。俺が言いたいのはそんなことじゃなくて、もっと人を見るんだってことだ」
「人を?」
「そうだ、人だ。人ががんばって生きてる姿を見ろ。どんなにちっぽけでも、どんなに弱くても精一杯なところをな。そうすりゃ自然と自分も力が沸いてくる」
「……人を、みる、か……」
「『人の笑顔を見て微笑め。人の喜びを聞いて頷け。全てを認め、全てを信じろ。疑うことなかれ、そして諦めることなかれ』ってな。俺が好きな言葉だ。まあ由来は知らんが」
 と、ジェイスは手元の酒をなにげなくつかもうとしたが、今しがた自分が捨ててしまったことを思い出して、ばつが悪そうに鼻の頭をかいた。そして隣からじっと見上げる視線に応えるように続ける。
「だから俺は若い頃から首都に出た。首都に出てばりばり働いた。といっても俺にはこの鍛冶の腕しかなかったがな。そして八年前にやっと腕が認められて、親方のもとを出てラスランって街で武器屋の一軒も持たせてもらえるようになったのさ」
「……何度も聞いたよ、その話」
「そうか、じゃあもっと聞け」
「……うん。一人でいるよりはずっといいから」
「いいこころがけだ。まあつまりお前も一度は世界を見てみろってことさ。最近はいやな噂ばかり聞くし、学者どもはこぞって『呪われた世界の終焉が』などとほざきやがるが、そう捨てたもんじゃないぜ、世の中は」
「……僕でも世界が見れるかなあ」
「おう、心配いらねえよ。なんたってお前は戦士なんだ。それに指先も器用だしな。まあ食うには困らんだろうよ」
「ううん、そうじゃなくて」
 スウェインはかぶりを軽くふると、静かに吹いてきた風に目を閉じた。風に流されて炎の破片が飛び散る乾いた音が、かすかにそしてやわらかに耳元に届いた。
「世界が僕を受け入れてくれるかってこと」

 ……少し伸びてしまい、ややもすれば目にかかりそうな赤髪が、風の力を受けてかるくなびいた。神はこの風の行く末も生まれた場所も知っているのかな、とふと考えてしまう。風になりたい、などというのは傲慢だろうか。それとも無謀? スウェインにはわからない。ずっとわからないのかもしれない。ただ、風になれば自由に、好きな場所へと翔んでゆける。手の届かない場所を見上げて、悲しい想いをせずにすむ。スウェインはただ、そんな風になりたかった。
 するとその頭に手が軽くおかれたのがわかった。くしゃ、という音で、自分の髪が少し乱れたのを感じる。非難がましく睨んでやろうと目をふたたび開けると、ジェイスがスウェインの頭を手でつかんで、こっちの瞳をずっと見つめていた。
「いいか、スウェイン」
「う……うん」
 吸い込まれそうな黒い瞳。この人は真面目な話をする時はいつもこの目だ、とスウェインは心中でつぶやいた。こちらの冗談を許さない眼差し。そしてそれでいて、どこかあたたかさすら感じる瞳の奥の色。スウェインは素直に従うしかなかった。この瞳はほんとにずるいんだから、と。
「俺はさっき人を見ろといった。だから人であるお前自身をまず見つめてみろ」
「僕を?」
「そうだ。お前はほんとは強い。そして世界が受け入れてくれない人なんていやしない。それをまず知るんだ。人がいるから世界っていうんだってことをな。そして旅をしてこい。そうすりゃ世界がほんのちょっとだけわかる。人にはそれで充分だ。神じゃないんだしな」
「旅に……僕が……?」
「そうだ、旅に出ろ。いろんなものを見てこい。そして必ずここに戻ってこい。いいな。世界をめぐる風になってこい」
 ふだんとぼけた酔っ払い職人の真面目なまなざし。それを正面から受けてスウェインは目を伏せた。
「……うん、僕、世界を見てくるよ。ジェイスさんがそう言うなら……。自分で見て来なくちゃならないんだよね。世界がぼくを受け入れてくれるかどうかを……」
「いや、まあそんなに重く考えんでもいいさ。ただお前が以前、『風になりたい』って言ってた、そのためにはまず世界を見に行ってくるのがいいだろうさ」
「うん、そうだよね……。まず自分ではじめなきゃなんにもならないよね……」
 スウェインはゆっくりと立ちあがった。ついでジェイスも腰をあげる。そしてぱんぱんとスウェインの腰や足についた砂を払い落としてやると、もうさっきまでの目つきに戻ってニヤリと笑った。スウェインには一瞬その笑いが、『心優しきやんちゃ坊主』のそれに見えた。
「よし、そうと決まれば善はなんとやらだ。こっちへ来い。今からお前の旅立ちの準備をするぞ」
 大きな、そして鍛冶できたえられたごつごつとした手が呼んでいる。その、決して焚き火と酒のせいだけではない温かな手を、スウェインは握り返した。ジェイスは気ぜわそうに、そこらにいる村人にスウェインの送別会の準備をさせようとしている。そしてすぐに自分自身も走り出して、どこに行ってしまったのかわからない。それを見ながら赤毛の若者は、すでに旅のことに思いをはせているようだった。
「旅……風……そして人……」
 とその時、思わずそうつぶやいた目の前を、自分の髪と同じくきれいな赤色の火の粉が美しく舞った。ぱちぱちぱちぱち、と。
 ……その音はまるで、旅立ちを決意した若者をささやかに祝う、夜風の拍手のようであった。

 収穫祭そしてスウェインの送別会は、夜が終わり、東から朝日が頭を眠たげにのぞかせるまで続いたらしい。
 その陽射しの中を、右肩に旅行用携帯バッグを背負いながらスウェインは、村の外れまでやってきた。
「……ジェイスおじさん、トンラ婆、村のみんな、じゃあ行ってくるよ。みんな元気で!」
 振りかえって、すぐ後に続いていた人々に向かう。そしてそれに応えるように村人達から声がいくつも上がり、それぞれのやり方でこの若者の旅立ちを祝福した。禿げた頭を無意識にさすった男は、まだ酔いと酒の匂いの残る大声で。いつもの口うるささを封印した長老は、滅多に見せなかったと他人を驚かせた笑顔で。そして村人は村中に聞えるばかりの歓声で。
「……行ってきます!」
 そしてくるっと音がなるかのように軽やかに身を翻した赤毛の若者は、きれいな朝焼けを受けて歩き出した。曙の陽光が髪の左半分の地色に重なって、赤紫色に美しく映える。その色彩の中で、すこし前まで切り忘れたことを後悔していた前髪が、今は頼もしそうに前を見ていた。

「……やっと旅の決意が固まったか」
「おお、トンラ婆か」
 スウェインの後姿を見送ってから、昼前まで酒を飲んでいたジェイスは、この村の最長老が近づいてくるのに気づいた。そして答える。
「ああ、ついに行っちまったぜ。と言うか俺が無理やり行かせたみたいなもんだがな」
「今はそれでいい。いつか自分で歩けるようになるまでは、誰かに背負ってもらっていくのもいいじゃろう」
「しかしなんだか名残惜しいもんだな、やっぱ。いくら慣習とは言ってもな」
「……この村の慣わしか。この村の若者は必ず旅に出なければならない、これは定めじゃ。それは戦士の宿命に縛られた戦いの旅という掟か、それともその宿命から逃れる術を探し求める決意か……。いや、そんなことは誰にもわからん。誰がはじめたのかもわからん。ただわしらにできるのは、スウェインがこの旅でなにかを掴み取ってくれるよう祈るばかりじゃ。のう、ジェイス」
「……大丈夫だろ、あいつは。俺はそう信じてるし、信じてやりたくもある」
 それを聞いてトンラ婆はすこし微笑んだ。
「ほう、村一番の悪ガキに信じられるとはスウェインもなかなか前途多難じゃな」
「う、うるせえ、あれは三十年以上昔の話じゃねえか! それよりだな」
「なんじゃ、悪ガキ」
「た、旅に出る直前にスウェインに、『ところでさっき、なんで悩んでいたんだ?』って聞いたんだよ」
「ほう、それでスウェインはなんと?」
「……めいっぱい笑って、『忘れた』だとさ。いい顔しやがったぜ、あいつ」
 トンラ婆は思わず笑い出した。つられて「三十年前の悪ガキ」も笑い出す。そして右手に持った酒瓶を、すこし色褪せた朝日に掲げて、ジェイスは若者と世界を祝福した。
「この神の背と、それを渡る若き風たちに幸あれ!」
 ……酒瓶に残った酒を通して温かな太陽が、いまだ冷たい大地に優しく触れていた。

 スウェイン、赤毛の戦士。彼はまず、南の街ラスランを目指して旅に出る。大陸を渡る風を感じるために。そして人を、無数の人を見るために。
 これから出会うであろう心優しき人々は、若者の歩む先に確かにいる。

 

「第2章 紀行」

 山脈に三方を囲まれた、サンティホールという名の盆地。スウェインが決意とともに出立した村はそこにあった。そこからすぐ南の街ラスランに出るには、最短距離でも一度西の中央平原を迂回しなくてはならない。それは村の南、ラスランの北に広がる広大な湖のせいであったが、スウェインは湖を見て回れることの方が、そして旅がより長くなることの方が、むしろ嬉しそうであった。
「初めての旅だ……」
 そうつぶやくうちにも自然と笑みがこぼれる。旅立ちにはあまり似つかわしくない季節。だんだんと寒さと乾燥が増してゆく気候。だがそれでも旅に出してくれた人たちに感謝しながら、赤毛の若者は旅行鞄を道連れに南へと歩いていた。

 収穫の季節がもう終わりを迎え、周囲の風景はすでに冬支度を始めていた。
 木はしつこくつきまとう枝葉を秋風の助けを借りながら振るい落とし、草は大地に還って春をじっと待っている。水は徐々にその冷たさと清らかさを増していき、太陽が妙に頼りなく、風が妙に寂しげに感じはじめる。その逆にきっと夜には、月がより美しく、星がより輝いて見えることだろう。一歩一歩足を進ませるたびにその下でしゃくしゃくと心地よい音が響いてくるのは、まるで生まれたての氷を踏みしめているようだ。褐色の落ち葉はあっけないほど脆くつぶれて、その下からやはり褐色の土が見え隠れする。森の隙間から細く漏れでた光がその大地を、薄くまばゆく染め上げていた。
 こんな時こそ人は、古き良き思い出にふけるのかもしれない。芸術家は思わず手元の筆を取って白地のキャンバスに向かい、歴史家は無性にその著述の中で過去を慈しみたくなる。
 今はそんな季節だった。

 すこし早めの昼食をとりおわった後に、湖のほとりを、そのゆったりとした景観を楽しみながら歩く。遠くの水面にぷかぷかと、軽く浮き沈みしているように見えるのは、釣り人の小舟だろうか。足元をのぞき見ると、浮かんだ葉の隙間から魚の影がちらっとだけ目にはいった。右手の方でぴちゃんというかわいい水音が立って、水辺の蛙が二匹、元気よく飛び込んでいる。そのたびにふぞろいな形の葉っぱが、すべて同じように揺れていて、それが何気に微笑ましかった。白鳥でもいないかな、と探してみるがさすがにそうそう美しい景色にはお目にかかれない。ただ湖の印象的な静けさが、スウェインにはまるで揺り椅子の老人のように感じられて、湖から立ち去る時に彼はそっと小さく別れの挨拶をした……。

「うわあっ!!」
 そのままささやかな峠を越えて、中央平原へと足を踏み入れたスウェインは、木々の間から強烈な音と光があふれだしてくるのを、望んでもいないのに受け止めた。今までの牧歌の眠りから覚まされる苦情を言うべき相手が見当たらず、仕方なく耳を澄ませる。雷鳴と比べても遜色ない轟音が周囲の山々を震わし、それに隠れて剣戟の響きが、人の悲鳴や歓声を道連れに聞こえてきた。
「戦争……!?」
 そう、目の前で戦争が行なわれているのだ。今までは村の中で、寝物語にしか聞いたことのなかった、東と西との戦いの小さな一つが。
 剣を友とする戦士が、見えぬ力を操る魔術師が、お互いに陣形を組んで戦っている。鋭い剣が魔術師の肩を貫き、業火の柱が戦士を鎧ごと焼き尽くす。無数の氷のつぶてが宙を舞って敵を襲い、尋常でない脚力でその中を突破した剣使いが術士に肉薄する。汗と、それ以上の血が飛び交う、そんな戦いの繰り返し。互いの全ての技と術とそして力をぶつけあっている、その繰り返し。
 その戦争の余波が、スウェインがいた場所の近くにも飛び火している。剛健そうな戦士が目の前でゆっくりと膝をついた。そのすぐあとに、とどめを刺すかのように火球の群れがあたり一帯をあっという間に焼き尽くした。木がぱりりっとあっけない声をあげながら火に包まれて地に倒れる。草はすでに焼け焦げて消し炭みたいな残骸が、大地に生えているだけであった。
 慌ててスウェインは体を伏せた。その行為はなんとか間に合ったらしく、その戦士を倒した魔術師はスウェインに気づく事なく、また次の敵を求めてどこかへ去っていった。しばらくした後になんとか立ちあがってその口から出たものは、深いため息とつぶやきである。
「……いつからしているのかな。そしていつ終わるのかな……」
 それがこの目前の一戦争だけに対してなのか、それとも長く続く戦乱自体に言ったものなのか、それはスウェイン自身にもわからなかった。

 この大陸の戦争が始まったのは、伝説の物語るところによると実に幾千年もの昔だという。
 そう、それは人という神の姿を模した生物が、この大地に生を受けてから。復活の兆しを見せた悪魔が、呪われた力を世界にばらまくそのずっと前から。
 もしかすると人は生まれながらにして争う存在でしかないのかもしれない、そう考えて無性に悲しさを覚えた哲学者たちは、数々の書物と論説を世に残した。そのほとんどはこの世界の行く末を憂い、今に至るまで人々に飽くなき警鐘を説きつづけている。その書を片手に今の宗教家や学者はこの世の終わりを感じ、世界全体にかけられた呪いに悲しむだけで、光を信じることを人々に教えようとは一切しなかったのだ。
 現状は、光明と光芒の存在すら忘れたその結果かもしれない。人と、その人の住む世界の可能性を信じられず、ただただ目前の戦争に涙する。一筋の希望さえも見出せず、戦いにしか未来と充実を感じることが出来ない。そんな風潮が、戦乱続くこの世の中には蔓延していた。

 その大陸のど真ん中にあるのが、この中央平原である。ベルクとタペリが武力衝突するとなると、まず真っ先に戦場となるのがここだ。東の国ベルクの前線都市であるラスランと、西の国タペリのおなじく前線都市であるディールとを直線で結ぶと、その間にはこのだだっぴろい平原が存在しているだけなのだから。
 ちなみにその中央での戦争の規模は毎度変わり、ベルクとタペリの総力がぶつかることもあれば、小競り合いに終始することもある。だがその大小の違いこそあれ、そこで流されるのはやはり真っ赤な色の血と、色のない涙であることに、なんら変わりはなかった。
「中央平原の草木は、血と涙で育まれた』」
 ……後世よく語られることになるそれは誇張でもなんでもなく、ただ事実であったのだ。

 いつかジェイスは、スウェインにこう言っていた。
「俺はこの『中央平原』って名前が好きだ」と。
 スウェインが好奇の眼でなぜ、と訊ねると、説教と酒が好きなその中年男は「ふふん」と酒瓶片手に少しうそぶいて、
「大陸の中央にあるから『中央平原』。安直だという人もいるかもしれないが、これには平和を願う人の祈りがこめられているからさ。ベルクとタペリが争っている今じゃあ、せいぜい『国境平原』と改名されてもいいくらいなのに、ずっとこの名で呼ばれている。国の場所なんか関係なく、大陸という視点に立ってそう呼び習わされている。そうさこの名前は、国がまた一つになって、この大陸のほんとの歴史が始まるときを待っているのさ。昔からずっとな」
「……そんなものかな」
「何、これは俺の勝手な思い込みだよ」
 そう言いながら、照れくさく笑ってスウェインの頭をぽんぽんと叩いたジェイスは、それから思い出したように一人きりの宴会を再開した。

「……ジェイスさんもこんな戦争をみたことがあったのかな」
 少しの回想を振り払ってあたりを見回してみると、真っ先に目に入ったのは赤であった。大地に豊かにたたえられた血の池は、そのまま赤い滝となってすぐ上の剣先へとつながっている。それを握りしめているのはこれまた赤く染まった腕。そのさらに上に位置する二つの瞳は、常に戦いと殺戮を求めてやまない狂気を示していた。
 一人の黒装束の男がスウェインに向けて殺意を、それも愉悦のための殺意を、ほとばしらせていたのだ。
「わぁっと!!」
 その剣が自分を狙っていると悟ったとき、スウェインは思わず走り出していた。一拍遅れてそれまでスウェインがいた空間を、横薙ぎの強烈な斬撃が襲う。その、自分の赤毛を揺らすほどの剣風に心の中で悲鳴を上げながら、まだ戦いを知らない若者は文字通り一目散に、ラスランを目指して駆けていった。

 息を切らせながら、髪を乱しながら、スウェインはラスランの入り口付近まで走ってきた。後ろをうかがうと、朱をまとった影がまだ執拗に追いすがっている。逃げる限界を感じたか、それとも自分の戦士としての弱さに諦めたのか、スウェインはその場にぴたりと立ち止まってしまった。その目の前に血刀を掲げた黒装束がたどりつく。するとその時すこんと情けない音がして、ゆっくりとその狂気の使者は大地に倒れこんだ。その額に太い矢がはえている。思わず振りかえったスウェインは、石弓の照準を合わせたままの黒い鎧の人物を見つけた。
「あ、あの……」
「私はこの街の衛士だ。それよりも、大丈夫だったか」
 駆けよって声をかけると、石弓をようやくおろして脇に抱えた後に、すこしくぐもった声が返ってきた。全身黒ずくめの戦士。顔までが兜に隠されていて、外から見えるのは優しげで強い意志を秘めているであろう瞳だけだった。
「あ、はい、助けていただいてありがとうございました」
 すこし遅れてしまったが、深く頭を下げて礼を言う。するとその衛士はスウェインをちらりと見て、静かに語を継いだ。
「私はいつもこうして、この街を守っている。このラスランに魔物たちが入りこまないよう、ラスランの人々が魔の影に怯えずに暮らしてゆけるよう、ここにずっと立っている。だからああいう者たちを生かして街に入れるわけにはいかないのだ」
 そして先程の黒装束に視線を移してすうっと目を細める。
「……あれは、長き戦乱に魂を狂わされ、神を敬うことを忘れてしまった悲しき人々だ。盗賊に身をやつし、奪い殺すことにしか愉しみを感じられなくなった者たち……この大陸にはああいう者たちが、人と魔物の境界を越えてしまった者たちが、大勢いるのだよ」
 なんと返事をすればいいかわからずスウェインは黙っていた。というのもだんだんとそれが、独り言めいて聞こえたからかもしれない。
「我々としても、この街を守る使命を帯びている以上、仕方ないのだ……」
 悲しげな、そして絞り出すような声。その表情は、深い面頬に隠されて、ついぞうかがえなかった。

「……これが街かあ」
 ラスラン。ベルクと呼ばれる東の民の国の、西の民の国タペリとの国境近くに建設されたこの街は、大陸の技術の最先端が集まる首都に比べればいささか劣るものの、村を出たばかりの一青年にとっては充分な驚きであった。
 そう、いままで村以外の人の集まる場所を、文字通り見たことがなかったスウェインにとっては。
「どんな街かなあ……」
 さっきまでの戦争の生々しさがふと胸をかすめる。あの体験に辟易しながら。そして衛士の言葉に何気ない悲しみを覚えながら。
「いい街だといいんだけど……おっと」
 ラスランの西側に流れる、北の湖から続いている澄んだ小川を越えると、堅牢そうな街の外壁がうかがえる。それを見上げたせいで少しずり落ちかけた旅袋に気づいて、それを慌てて肩にかけなおしながら、スウェインは街の中へ入っていった……。

 空は今日も、ただ晴れわたっている。その中で一つだけ、白鳥と見まがうばかりの白く可愛い雲が、青をまだらな水色に染めながら、ゆっくりと流れていく……。

 

「第3章 失望」

 ラスランの街の入り口は小さな門になっていた。
 ぐるっと西から南へ迂回する道が南からその門に飲みこまれ、街の中央通りへと姿を変える。その道を進んで、戦時には閉ざされるであろうその扉をくぐると、街のさまざまな風景が、我先にと目に飛び込んでくるかのようだ。
 左の方には古くより人々の信仰の中心となってきたであろう教会が、きらびやかな装飾をまとってそこにあり、右を見ると街の行政をつかさどる役所の簡素な旗が、ちょうど吹いた風の中で大きくはためいていた。役所の方角には煙突付きの鍛冶屋もあって、その軒下ではとんかちが描かれた看板が風に揺られながらぶら下がっている。
 そこからさらに街中に入るとその左手に、いくつも同じような顔を並べた商店街が見てとれた。手前から順番に、武器屋、鎧屋、雑貨屋、盾屋。そしてその奥にはすこし古びた、だが風情のある酒場があって、その少し煤けた煙突からは夕食を作っているらしい煙がもくもくと上がっていた。酒場の主人も今頃は、これから押し寄せるであろう荒れくれ者たちを迎える準備に追われているのだろうか。
 ……それらを横目で見ながら、根元が落ち葉でぎっしりの並木道を歩いてゆくと、十字路が交差している隣に、街のシンボルらしい大きな尖塔が現れた。街の外からでも唯一見えるであろうその高い塔のふもとは、少し開けた広場になっており、街の人々が使っているのだろう掲示板が、周りの喧騒とは正反対に静かにたたずんでいる。掲示板には様々な伝言や告知が貼られていて、いろんな想いを人々から人々へ、ただ黙って伝えつづけていた。
 古びた羊皮紙に殴り書きされた「傭兵募集」の大きな文字が見える。それをぺらりとめくってみるとその下には、市場の開催の告知が記された大きな紙が貼られていた。日時は昨日の夕方付け。赤字でその上に大きく「完売」と書かれたのを見て、スウェインは不覚にもくすりと笑ってしまった。
 とその時、不意に後ろから誰かが通りすぎるのを感じる。慌てて肩をすくめると、その頭の上を人の身長ほどもある大剣の柄が通りすぎた。その剣を背中に斜めに背負った大柄な剣士は相棒らしき魔術師と話をしながららしく、こちらに気づかずに去ってゆく。すこし苦笑しながらそれを見ていたスウェインの足元に、まだらぶちの猫がつつと寄ってきて、ひとしきり若者の顔を眺めたあと、にゃあと一声鳴いてどこかへ行ってしまった。
「たはは、猫にも田舎者と思われたかな……無理ないか」
 思わず頭をぽりぽりと掻く。そしてまたずれかけていた鞄をかけなおして、赤毛の若者は人の過密しているその広場を見渡した。
「ええっと……」
 右からも、左からも、押し寄せてくるのは人の声の波。意味ある言葉が密集して、意味なき雑音と喧騒へと姿を変え、それらは田舎から出てきたばかりの若者の耳と心を乱打する。もみくちゃにされそうな人ごみの中で時折響く、酒が入った大声。はっきりと聞き取れる、母親を探す迷子の泣き声。そんな声の群れと、その同数の人の群れに圧倒されながら、スウェインは一つ小さなため息をはくと、静かに独語した。
「……ちょっと……騒がしいかな」

 中央の掲示板前の騒音だらけの空間から、さらに北へとぶらつくように、いや音の波から逃げるように、旅疲れた足を伸ばしてみる。そこでは街並みがだんだんと寂れた感じを漂わせ、少し傾きかけた倉庫や一般の民家が広い空間の中にゆったりと存在していた。さっきまでの騒々しさが、まるでぷつんと音を立てて途切れたようだった。
 街の北の端では、村を出立してから見た湖の端くれにもう一度出会えて、スウェインの顔は少しほころんだ。何本か湖に向かって突き出た桟橋の側では船が数隻、波のない淡水の水面に浸っている。
 そうして前の湖ばかり見ながら歩いていたスウェインは、何かに足を取られかけた。よく見るとそれは、地面に投げたされた古びたイカリ。びっしりと緑の藻がはりついたそれは、その重そうな体をずっと日射にさらし続けている。なにげに楽しそうにそれをぴょんぴょんとまたいで越えて左を見ると、この街の少年少女たちが遊び場として使っていそうな土の広場があった。この時間帯はあんまり子供がいないらしく、動くものは時折吹く風に舞い上げられた落ち葉だけであったが。

 足の赴くまま。風が吹くまま。ぶらりと歩いていたら、戻ってきたのは先ほど通った、掲示板のある中央広場。相も変わらず盛況なその空間に、都市自体に慣れないスウェインはすこし頭を振って、そのあとで改めて広場を見渡してみた。
「掲示板見た?」
「ああ、明日の市場だろ。行ってみるよ。鎧ももうぼろぼろだしなあ」
 そんな会話が聞こえる。どうやらスウェインの他にも掲示板を眺めては去ってゆく人が多くいるようだ。それだけではない。ここで話しこんでいる人、話しながら通りすぎてゆく人、さらにはここで商売をしている人。様々な人々がここに接点をもっているようだった。
 やはりここはラスラン随一の、人が集まるところらしい。そうスウェインは理解した。ならここで耳を澄ませてみれば、この街の人々の暮らしぶりが分かるかもしれない、とも思う。さっき見た戦争を思い出して辟易しながらスウェインは、広場に隣接している宿屋の隅に座りこんで、道ゆく人々の会話に耳を傾けた。

 ……だがスウェインは、街での人々の営みを見て、愕然とした。話にしか聞いたことのなかった街は、スウェインの胸に満ちた期待を裏切っていたのだ。
 そこかしこで自慢げに語られる、「自分は今日何人倒した」と戦功を誇る声。相手より自分の方が強いとかたくなとして言い張る、傲慢な心の衝突。ともすれば対タペリの前線基地ともなるこの城塞都市で繰り返されるのは、そんな戦いと密着しただけの会話の、荒廃した輪廻であった。
 優しさ、そんなものの片鱗をも見つけられない。スウェインの生まれ育った村と比べて感心できるのは人の多さと騒がしさだけで、その村と街との、村人と街の人間との違いを、スウェインは否が応もなく理解してしまった。
「なんか……せまいね」
 思わずそうつぶやいた言葉は、スウェインの心からの感想であった。
 そして慌てて、自分に落ち着け、と言い聞かせた若者は、さらに自分をなんとか納得させようとする。まだ広場で話を聞いただけじゃないか、と。まだ街の人全てを見たわけじゃないじゃないか、と。だが考えるほどに、先程の戦争や、血に飢えた黒装束、そして衛士の押し殺した声までもが思い出されて、スウェインは人知れず頭を抱えた。

「あ、あの……」
 いても立ってもいられずに、スウェインはその時一番近くに佇んでいた一人に声をかけた。「ん?」とばかりに振りかえったのは、杖を携えたこの街の神官らしい人物。見る人が見ればその人の服が、見習いのものであることが分かったかもしれないが、街に来たばかりのスウェインには当然わかるはずもない。
「この街って……いつもこうなんですか?」
「こう、とは?」
「いや……いつも戦争ばっかしているのかなって」
「戦争か……たしかにそうだね」
 ふむ、とすこしうなずいてあごに手を軽く当てたその神官見習いは、少しの沈黙のあと返答してきた。
「ここは中央平原を挟んで、タペリとしょっちゅう戦っているからね。目の前で人が死ぬ。それを見て泣いている人を普通に見流す。戦争や戦いが身近すぎるんだね。だからみんな、仕方ないと思ってるんだよ」
「……そうですか」
「まあこの街に早く慣れることだよ。それしかないんじゃないかな。こんな時代だしね……」
 あきらめ口調の声を残して、そしてそれに失望している若者をも残して、その神官見習いはゆっくりと去っていった。「はあ……」というスウェインのため息だけが、一瞬生まれ落ちて、そして消えていった。

 人を見るってどういうことなんだろう、とスウェインは思う。人の何を見るべきなのか、人の何を見なきゃならないのか。
 街の外に一歩でも踏み出せば、そこで行なわれているのは戦争という名の愚かしい過ち。そして街の中ではただ敵を倒すことだけを、強くなることだけを目的とした、人々の乾ききった生活が営まれている。過去からの因縁を未だひきずっているこの大陸では、それが仕方のないことであったかもしれないが、それでもスウェインには納得できなかった。
 人の過ちを理解すればいいのか。それとも人の懺悔を受け止めればいいのか。人の愚かしさだけをただ認め、人の哀しみだけをただ知るのか。いや何かが違う。「人を見る」とはそんなことではないはずだ。混沌へととどまることなく加速しているこの大陸に、希望を見出すために。自分たちが誇りを持って、ゆっくりとでも歩んでゆけるように。あの普段は陽気な鍛冶屋は、そんな意味で言ったはずだ。
 ……スウェインは早く答えを出そうと焦っていた。もう冬も間近だというのに、汗がひんやりと、少しだけ流れた。

「……ジェイスさんのうそつき」
 スウェインは空を見上げた。風を、自分がなりたいと願った、風の色を感じようとして。
 しかし、空の澄んだ色だけがそこにはあった。人の手では到底描きえないほどの鮮明な青が、西から迫ってくる夕闇に少しくすみながら、街の建物によっていびつな四角に切り取られている。その視界の隅でぽっかりと浮かんだ雲に重なるように、小さな小さな白い鳥が、物悲しそうに飛び去っていった。
 はるか遠い南方から、ともすれば大陸の南端からはるばると訪れた渡り鳥。ひさびさにこの街に帰ってきて鳴いたその声が、ひときわはかなげに、スウェインには聞こえた。
「……お前も悲しいのか」
 街の狭さを嘆く鳥への、孤独で静かな述懐。それからおもむろにゆっくりと腕を掲げて、何かを掴み取ろうと手を握る仕草をする。手のひらの中に残ったのは冷たく乾いた大気。そして汗ばんだ生ぬるい感触。ただそれだけ。望むものは何一つ残っていない。ほんとにただそれだけ。
 手に入れたかったものが、掴み取りたかったものがなんなのか、それはスウェイン自身にも分からない。ただ前髪が、ふっと巻いた一陣の風によって、視界を覆い隠すほどに大きく、そして頼りなく揺れていた……。
 そう、自分自身の未来も覆い隠してしまうほどに頼りなく……。

 

「第4章 邂逅」

「そんなところで何してるんだい?」
 スウェインはふと呼び止められた。いや、スウェインが街中で不自然に立ち止まっているところに向こうから歩いてきたのだから、呼びかけられた、と言ったほうが正確かもしれない。すこし気障がかった、でも含みや嫌味は一切感じ取れない口調。思わず見つめた声の主は、自分より四、五歳は年上であろう長髪の青年であった。額のところで左右に綺麗に分けられた、首までかかるようなその長髪の色は、自分と同じく燃えるような赤。
「あ……えっと、その……」
「ん?」
「あ、いや、ただなんとなく空を……空を見てました」
 それを聞いてその青年はくすりと笑った。やっぱり笑う時も心持ち気障っぽい。だが反感は不思議と覚えなかった。
「いい人だね」
「……は?」
「知り合いが言ってたよ。『何気なく空を見上げれる人は、空みたいに澄みきったいい人だ』ってね」
「え、えっと……」
 立て続けに言われて、なんと返事をしていいか分からず思わずどもる。とその青年は、そんなこちらの気持ちとは関係なく、聞いてきた。
「で、なんで空を見ていたんだい?」
「それが……この街来たところなんですよ……なのでいろいろとよく分からなくて……」
「ああ、なるほど」
 ぽんと手を叩くように頷くと、その青年は誘いをかけてきた。
「じゃあさ、暇だし、ちょっといいかな? 僕もいろいろ話を聞いてみたくなったし」
「話……ですか?」
「僕、この街にずっといるからね。外の世界の話とか、聞いてみたいんだ。君がどこから来たのか、何を見てきたのか……そしてなんでそんなに悩んでいるのか。僕でよかったら話し相手になるよ」
 彼は指でぴっと街の一画を指し示した。もう時刻は、さしせまった夕方。そしてその指の先では昼にも見かけた酒場が、窓から明かりをはみ出させながら、やはり古びた姿を街の人に見せつけていた。

 酒場のカウンターの、出口から一番遠い隅。そこに肩を並べて、赤毛の若者二人は夕食をとっていた。軽めのパスタやサラダがテーブルに並んでいる。青年の注文、そしておごりであった。さらに赤ワインのグラスが二つ。かたっぽは全然口がつけられていない。スウェインがさすがにワインまでは、と遠慮したらしい。
 目の前では酒場の恰幅の良い女主人が、愛想よい笑いを浮かべて、他の客の料理を手早く作っている。包丁がとんとんとんと小刻みに音を立て、大きな鍋が二つ、ぐつぐつと煮えたっている。そこから流れてくるのは、食欲を刺激するシチューの甘ったるい香り。
 サラダの半切りレタスにフォークを突き刺しながら、スウェインはあたりを見まわしてみた。いくつもある幅広の机の上では、熟練の冒険者たちの会話が楽しそうに弾んでいる。何度も追加の酒を注文してはどんどん飲み干している豪快な戦士。ただ黙々と果実酒を飲み続けている魔術師。その間をせわしそうに歩き回っているウェイトレスは、この酒場の看板娘らしかった。
 夕方ともなれば酒場は満員である。酒場の隅に所狭しと並べられた酒樽、それに負けないくらいいっぱいに、人という人が集まっていた。もう肌寒くなる季節が、人々に酒への誘惑をよりいっそう喚起するらしい。各テーブルやカウンターには人の数だけ酒瓶が立ち並び、早くグラスに注がれるのを今か今かと待っているようである。火照った顔をつきあわせた人々は、笑いあい、泣きあいながら、肩と机を叩き合っていた。
 喧騒。人ごみ。笑い声と怒声。酒場のそれらは街中の比ではない。そしてそれら全てが、今までスウェインが経験した村のそれとはやはり異質のものであった。自分は異郷にいる、そんな感慨が改めて、胸にしみじみとわきおこる。そして同時に、この街の広場で味わった失望もまたよみがえってきた。
「うらやましいのかい?」
 残り半ばになったワイングラスを右手の中で軽く転がしながら、青年が突如問うてきた。慌てて振りかえると、その拍子にフォークの先のレタスがすぽっと抜けて、やわらかく床に落ちる。忙しい中ながらそれを見逃さなかった女主人の、冷たい眼差しを受けながら、スウェインは心の中で汗をかいた。この人はいつも突然、こちらが驚くことを言うんだな、とそう思う。
「何がです?」
「いや、この街の暮らしに早く慣れたがっているのかなって。彼らみたいにさ」
 かちゃり、とフォークを皿に置く。青年もつられたように、グラスをことりとテーブルに置いた。少しの沈黙のあと、スウェインは口を開いた。
「……正直よく分かりません。この街に来るまでは、いろいろと希望を持っていました。でも街に着いてから感じたのは、失望でした」
「失望?」
「みんな戦いのことばかり考えてたからです。戦争にも出会いました。戦争中の国では当たり前かもしれないけど、その国の人たちにとっては日常の出来事かもしれないけど、それがなんかしっくりこなくて。正直、街が狭い、そう感じて……」
「……そっか」
 再び流れる、今度は長めの沈黙。静かに食をとる音とワインを飲む音が、やかましい酒場の中では不自然に、ぽっかりと浮かび上がったかのようだった。すると、
「でもまあ……きっといい人もいるさ」
 少し椅子を後ろにぎしと傾けながら、青年は結論じみたことを口にした。沈黙を破ったその声に、スウェインの返答が続く。
「……いつかそんな人たちに出会えるといいですね」
「きっと出会えるよ。いい人に。優しい人たちに」
二人とも言うとはなしに笑みがこぼれた。ほんのちょっとした笑み。そんなに肩に力を入れずとも出てくる笑い。にっこり、と表現するのもおこがましいような、そんな表情。
 今はそんな力ない微笑みでもいい。いつか心から笑えるその準備のためにも、すこしでも笑っておこう。そう語りかけてくるような、優しい笑みをスウェインは感じた。優しいのは、この人の方だ、と……。

「あ、そう言えば、訓練所にはもう行った?」
「訓練所?」
「うん、訓練所さ」
 青年は空になったワイングラスを置いて、フォークでパスタを食べている。
「この街の人はみんな、街の外に行く前にある程度の戦闘訓練を受けるのさ。最低限自分の身は自分で守れるようにね。街の入り口のすぐ右側に地下へ続く階段があっただろう? あれがそうだよ」
「……見てないです」
「はははっ」
 思わず笑い出した青年は、ぽりぽりと頭を掻いたスウェインの鼻先にフォークをちらつかせながら言った。パスタはもう平らげられていた。
「空ばかり見てるからだよっ」
「す、すいません」
「なんなら明日の朝に行ってみるかい? 僕が手伝ってあげるけど」
「い、いいんですか?」
「もちろんさっ」
 少しおどけた口調で頷く。この人は笑うとき、にかっと音が鳴るみたいだ。そんななごむような、純粋な笑い。子供っぽい笑いだ、と評すると怒られるかもしれない。そんな考えがふと赤毛の頭をよぎる。
「じゃあ今日はもう帰るね」
 そして彼はそう言って立ちあがって、主人を呼ぶと二人分の食事代をちゃりんとカウンターの上に置いた。礼を言う主人を横に、にっこり笑ってすたすたと歩いてゆく。と途中でぴたと止まると、何かを思い出したように振りかえった。
「そうだ……これ、受取って」
 ぽいっとなにかが投げられる。わわわ、とすごく慌てた悲鳴を出して手を伸ばすと、その物に結びつけられた二本の紐がどうにか指先に絡まった。ふうと息をついて持ちなおしてみると、それは革の鞘におさまった一振りの短剣であった。
「……これは?」
 くす。もう一度優美に、そして柔らかく青年は笑った。
「だって君、丸腰だろ? 明日来る時は、それを持ってきなよ。今晩中に素振りでもしておくといいかもね」
 そう言って出口に歩き出す。酒場の女主人は忙しくグラスと皿を片付け始めた。ざー、っと蛇口から水の流れる音。かちゃかちゃと泡立てて食器を洗う音。それを聞きながらスウェインは、扉に手をかけた青年にようやく声を返すことが出来た。
「……あ、あの」
「ん?」と青年は扉を開けながら振り向く。
「僕、スウェインです……。あなたは?」
「ああ……、そう言えばまだだったね」
 扉にかけていない左手で器用に頭をかくと、
「ラキラス、さ」
 その声、そして微笑みとともに木造の扉がぎいと閉まる。それに続いたばたんという鈍い音は、周囲の喧騒に優しくかき消された。テーブルの上ではなみなみと注がれたままの赤ワインが、扉を見つめたままの若者の横顔を、ワイングラスの形に映しつづけていた。

 ……結局素振りは一度もしなかった。そのまま街の宿屋に泊まりこんだその夜は、ただベッドの上に寝転がって、鞘からも抜かずにその短剣を、掲げた右手で握りしめていただけであった。
 右の手のひらに固くて冷たい、だが確かな感触を感じながら。
 スウェインのその視線の奥で、天井から吊り下げられたくすんだランプが、睨まれたと思ったのか、身じろぎしたように軽く揺れた。半開きになった窓から秋風が涼しく、いや肌寒く吹き込んでくる。その軽やかな風のダンスは、この街の夜の爽やかさを物語った。
 ランプがもう一度大きくかしいだ。鞘から少しはみ出た刀身の上で、赤茶けた光がただ黙って踊っていた。
「ラキラスさん、か……」
 今日という一日に聞いた言葉の中で、その名がもっとも印象深く、頭の中に残っている。
「あ……」
 少しばかり喪失していた、希望という名の想い。逃げ去ろうとするそれの尻尾を、どうにかつかむことが出来たみたいだ、そう思う。
「お礼言うの忘れた……」
 ……今夜は、いろんな意味で思わず微笑んでしまうような、そんな夜だった。

 

「第5章 希望」

「どうしてここまで手伝ってくれるんです?」
「うーん……言うのは難しいね」
 ラスランの訓練所にて。スウェインはラキラスの見守る中、戦士としての技量を磨いていた。
 そこは訓練所とは名ばかりの、怪物たちの跳梁する処。ラキラスに言わせると「まあ……実戦が腕を鍛えるには一番いいと誰かが思ったからじゃないかな」との答えである。念の為街へと続く出入り口には衛士が立っているものの、それ以外はまさに街の外と変わらない戦いの地であった。
「一言で言えば、そうだねえ……」
 と、少しばかり上を見上げて答える。
「なんか、さみしそうだったから、かな?」
「……ありがとうございます」
「ほら、そんなこと言ってる暇があったら訓練訓練っ」
「は、はいっ」
 訓練所の怪物は数種族。その中でも最弱と言われるゼリー状の生物、スライムでさえも、スウェインにとっては強敵だった。後に片手剣を愛用することになるこの若者は、今はラキラスからもらった短剣をふるっている。
 手先は器用なのだが、元来争いごとに向いていないのか、それとも単におっちょこちょいなだけなのか、スウェインの技量は戦士の部族にしてはお粗末であった。また生まれつきの体の弱さも悪い方に影響している。少し離れた隣でスウェインより遅れて訓練しはじめた黒髪の少年のほうが、いまや明らかに強そうであった。
「……」
「……僕、見込みないですか?」
 不安げな顔をしたスウェインに、心持ち目をそらしながらラキラスは、「とにかくがんばれっ」と声をかけただけであった。

 思い出したのは、旅立ち、朝日、そして赤い髪。
 それだけだった。

「ところでラキラスさんは、やっぱ戦士なんですか?」
「ん?」
 街の舗道を歩きながらスウェインはラキラスに声をかけた。今二人は、ラスランの東に広がるラムパス湿原へと足を進めている途上である。訓練所で武器の振り方をなんとか覚えたスウェインを、ラキラスが連れ出したのだ。
「教えてほしいかい?」
「……そりゃもう」
 よくよく見るとラキラスは丸腰である。実際にラキラスが武器を振るっているところを、スウェインは訓練所の中ではついに見ることができなかった。だからこその疑問なのだが、ラキラスは目を輝かせてスウェインに向き直った。
「実は戦士じゃないんだよね」
「ほんとですか?」
「うんうん。ほんとだよ」
 古の大戦の際に、戦闘のためだけに特化された部族区分。スウェインはそのうちの「戦士」の末裔の一人である。その目的は、眼前の障害をただ破壊すること。幾千年もの歳月を経て大戦の記憶が風化した今でも、ついには消え去らなかった血と宿命がそれを伝えている。
 そしてその大戦の末期には「戦士」だけに限らず、様々な部族が同じように大陸中に広がっていったという。「剣闘士」、「盗賊」、「聖職者」、そして……。
「僕は実は魔法を使えるのさっ」
「まじですか!?」
「だからほんとだって。ただ今日は見せてあげない。また今度のお楽しみ」
「……けち」
 ラムパス湿原は、スウェインにとって広大な場所であった。この時はまだ、世界をまったくもって知らなかったのだから無理もないことかも知れないが。首都へと続く街道から少しでも外れると、すぐ自分たちのいる場所が分からなく感じてしまう。ふと頼りなく襲ってくる不安。だがその一瞬ののちには傍らにいる頼もしき人を思い出し安堵する。スウェインは孤独との大きな違いを、ただかみしめていた。
 自分と肩を並べていてくれるひと。旅の友になってくれるひと。いつしか自分もラキラスさん以外に、誰かと肩を並べるようになるんだろうか。ともに旅をしてくれる人ができるんだろうか。そしてその時、自分はどんな顔をしているだろう。嬉しがっているのかな。照れくさがっているのかな。それとも……。
 いろいろと思いめぐらして、考えこむ。ふと気づくと、思わず未来を見ていた自分の遠い目を、ラキラスが怪訝な顔で覗きこんでいた……。

 思い知ったのは、戦争、悲しみ、そして赤い血。
 それだけだった。

 湿原での狩り。ラキラスの監督のおかげか、スウェインの技量はすこしは上達したようではあった。……天性の才能を持つ戦士ほどは望むべくもないにせよ。
「まあ戦うだけが能じゃないからねっ」
 とラキラスは前途多難なこの戦士を彼なりに励ます。だが二大国の戦争が続き、その合間を縫うように魔物が跳梁跋扈するこの時代では、強いことに越したことはないのもまた事実であった。
「木工くらいなら……なんとかできるんですけどね」
 頭を掻きながら思わずこぼす。手先が器用なスウェインは、村で自然災害があるとよく建物の修理に駆り出されたものだった。木槌を遊び道具の一つとしてなじんできた彼は、「物を作る」ということに関しては村の中の同年代の子供の中でも秀でていた。
「あ、じゃあさ……武器作ってみない?」
「……鍛冶ですか!?」
 鍛冶になじみがなかったわけではない。むしろよく親しんできた、幼少の一風景として鍛冶があった。昔から作業風景を目の当たりにしてきたし、育て親でもあったジェイスなどは、いっそ自分の養子にして鍛冶の跡取りにしようと言ったくらいだ。むろん……いつも通り酒が入った赤ら顔で、であったが。
「そう、鍛冶屋さ。向いてるんじゃないかい?」
「……鍛冶、かあ……」
 スウェインが鍛冶屋という職を意識し始めたのはこの時であった。「誰かが誰かを守れるための武器を作ろう」、彼は後に鍛冶屋を天職としてそう志すことになるのだが、この段階ではまだ軽い気持ちだったのかもしれない。しかしそれほどの決意ではないにせよ、なにかを生み出すことに興味を持ち始めたようではある。そして育ての親の職を目指せといわれたそのことが、何気に照れくさくもありまた嬉しくもあったのだった……。

 思い起したのは、街、人々の声、そして赤い空。
 それだけだった。

 ……若者は、いままで旅をしたことがなかった。
 彼はいつしか、風になりたいと思うようになった。
 風になって世界を旅して、人を見てこいと育ての親に教えられた……。
 まだ旅は始まったばかり。世界中で自分を待っている無数の可能性の、そのうしろ影をやっと見つけた程度。恐れを抱いた途端、自分から遠ざかっていってしまうそれを、彼は躍起になって捕まえようとしていたのかもしれない。
 自分の足音さえもどこか頼りなく感じるけれど、それでも耳をすませてみれば何かが聞こえる。澄んだ音、濁った音。乾いた音、湿った音。そして優しい音、恐ろしい音……。それら全てをごちゃまぜに耳に放りこみながら、前を向きつづけていく決意を、スウェインはやっとその心の中に固めることが出来たようだった。少し遠回りになってしまってはいたが。
 そしてふと気になったのは、昨日見た夢の続き。今日の朝起きたら目が少し腫れていて、涙の跡が二本、乾いた頬に残っていた。昨夜はなぜ泣いたのだろう。寝ている間に、何を夢に見たんだろう。人に、街に、世界に絶望を感じたから? 生まれたてのとてもかよわく小さな風が、すぐにかき消されそうな錯覚を覚えたから? 悪夢を見て苦しんだ夜だったのかもしれない。夢のレンズを通した現実が、おぼろげで不確かなものに見えたのかもしれない。
 そして最後に気になったのは……なぜ夢を覚えていなかったんだろう、ということだった。
「夢を……見たんですよ、昨日。悪い夢を。」
「夢?」
「はい。朝起きたら、泣いてました……」
「どんな悪い夢?」
 隣の青年がたずねてくる。スウェインはそれにどう応えようか少し考えた……。
 空が紫色だった旅立ちの時、朝日に挨拶をしたあとで育ての親に「なぜ悩んでたんだ」と尋ねられた。その時彼は、未来に希望をゆだねる気持ちを笑顔にのせて答えたのだ。そしてその時と同じ台詞を今また、あの時よりも少しだけ大人びた表情で、再び笑顔で答える。それはほんとの旅の始まりを味わえたから。今がまた……はじまりの刻だと感じているから。
「忘れました……」
「よかったっ」
 ……ラキラスはそう一言だけ言って、全てを知っているかのように微笑んだだけであった。

 最後に。
 想い感じたのは、優しさ、短剣、そして赤い光。
 ほんと……それだけだったけど。それだけだったけれど。

 次の日の朝は、より太陽が輝いて見えた。今日はラキラスは用事でいないらしい。朝だというのにもう動き回っている宿屋の主人を横目に見ながらスウェインは、宿屋の入り口をくぐりながら思わずひとりごちた。
「『人を見ろ』、か……」
 そして彼は、自分で口にした言葉を耳で聞いて驚いた。少し前に聞いて、頭の隅にしっかりと引っかかっていた言の葉。もうだいぶと昔のことに感じられるその教えは、今やっとスウェインに実感をともなってしみわたってくる。じんわりと草木が水を吸い取るように、その言葉はスウェインの栄養となりこれからも彼を育ててゆく。
 ……そう、今朝は夢を見なかった。目も腫れていなかったし、涙の跡も残っていなかった。一度感じた、旅したことに対する後悔は、それ以上の喜びに塗り重ねられて、今目の前で輝いている。顔にやわらかく触れた手に残ったのは、冬の陽射しを吸って乾いた、そして温かな感触だった。
「……うっし」
 いつものごとくずり落ちそうになっていた旅袋を、またしっかりと肩にかけなおしながら、スウェインは心の中でつぶやいた。

 −少し分かったような気がします、ジェイスさん−

 首を少し上に傾けると、先日見かけたかもしれない鳥がくるりと中空を舞っていた。空の中では冬だというのに暖かそうな風が、太陽の熱気を人々に伝えるべく飛びまわっている。その太陽はというと、おもわず手を目の前にかざしてしまうほど力強い。そしてかさかさと音を立てて、破れかけた木の葉が数枚、足元を転がっていった。
「ありがとう。そして……明日も、よろしく」
 晴れわたった空に、そしてその空を駆ける風に向かってつぶやく。それは心から贈りたい言葉であった。村の恩人たちに。通り過ぎたいろんな人たちに。そして……あるひとりの青年に。風はいつしか世界をめぐって、その言葉を、素直な心を伝えてくれるだろう。
 ……明日もいい天気になりそうな、そんな冬のはじまりの日だった。

 

次作品へ、乞うご期待
第1部やっと完結ぽいです(汗)
次から第2部突入……の予定w
てかやっと訓練所卒業してたりww