〜惨事のあなたさんの物語〜

ヰオの唇韻(wIo-no-ShinIn)

 

「prologue」 第二幕<New> 第三幕<New> 第四幕<New>  

 

「prologue」 そして

 私は・・・「人の知る高名な光、名もなきお方」の造物なれば。
 興じてこの身の召されぬ限り、「かたち」をほどいて漂うばかり。
 あるとき一声お呼びがかかり、私は「いやいや」出向いていった。
 人の身なれば焦がれて止まぬ、「真珠の門」に見下され。
 門辺に寄りて聖者を祝う、白銀人(しろがねびと)の憩いを破り。
 蔑(なみ)す睨(ね)めかけ避けるよう、おもてを伏して足早に。
 「良き人」のみぞ招かるる、「至福の庵(いお)」のそのすえの、
 秀(ほ)つ賢(さか)しらを戒める、「奥処(おぎろ)の宮」を訪れた。

 「今頃になって私をお呼びになる・・・何かお困りごとでも?
・・・失礼。あなた様はいつも困ってらっしゃるのでしたね・・・
使いもあろうによりにもよってこの私を召し上ぐると言う・・・。
・・・痛恨の極み、ですかな?」
 「互いのかけがえのなさ」を讃え合う場所ではないことをふまえてのこの暴言も、
あまねく罪を許したもうお方にはいささかの蝕みにさえなりえない。
 つけいる隙の綻(ほころ)びを、ひとひらにして兆(きざ)すこともなければ、
言の葉(ことのは)にてこの世を生じたもうた畏(かしこ)きお方は、
私が最も苦痛とするところの慈悲の面持ちで、
こちらばかりが気にして止まぬ陽のもとの彼我の差を唱え始めた。
 
 「死に綱(しにづな)にて結ばれる者よ」
 「足元より夜闇に延びる、手繰るる糸の一つをさえ、何物にも紡がれぬ
あわれな造化の戯れよ・・・」
 「生綱(きづな)なき、生者継(まま)しき曠世の影よ」
 「今よりは善き人の子の囹圄(ひとや)求めぬ遥けき土に面向き・・・
霊(く)しぶるあやの緒(いとぐち)を、執(しふ)してその身に糾(あざな)えるがよい・・・」
 熱をもたない呼びかけが喉元へと引き取られていく。尊き方はいつも多くを語らない。
 耳をすます者達に「真実」を委ねることはあっても、至らない「解釈」を補った「ためし」もけしてない。
 彼の存在の喜び密やかにするところなのだろう。己が意に届かぬ人知を「許す」こともまた…。
 それは恐らくさしたる深慮もなく「投じられ」、私の中で意味を生み出す。鼓膜が「むだ」をふるい落とすから、全ての言葉はただひたすらに「情動」のみを愁訴する。「全能」ではある、が、彼の「有能」芳(かんば)しき才に臨場したことはない。さしずめ今の「み言葉」がそれだった。「人に似た」思いの仄(ほの)かに揺らぐのみならば、付け入る隙こそなかったが、そこに「意向」がありさえすれば因む縁(えにし)は掌(たなごころ)に十分だった。

 私は「この世の外に住まう者」を前に、ささやかな恐怖を楽しみながら底意なき思いを傾けた。
 「おおそれながら…。「知恵成す指」の示される土に「罪」は御座いましょうか?」
 私は満たされていない。向かい合う者がなんであれ、言葉をもって仕掛ける度、
その瞬間に、形容しがたい喜びの衝動をいつも確かにしている。
 「いえ・・・けして因縁をつけるわけではありませんが・・・」
 私は暗愚と滅びの道行きを続ける。期待をもって。
 「もとより、「罪」がなければ囹圄(ひとや)、すなわち牢獄も無用でしょうし、富める土の「飢え」を知らずにあれば、勿論手当たり次第に貪(むさぼ)ることも、獣のように諍(いさか)うことも、そしてなにより大事な物を損なわれたと憤(いきどお)ることもありません…。
 それで・・・人の「善き」を量れましょうか?
 珍しく異なことを申されます・・・。罪のない世界で「善き人の子」が営むなどとは・・・。
 あなたさまのおっしゃる「善き人の子」は本当に「善い」のでしょうか?
 たとえそこに「罪」の誘惑があっても惑うことなく「善き人の子」たるを守れるのでありましょうか・・・?」
 或いは。全てが見えていたのかもしれない。幼稚な問いかけを繰り返しながら、私はどこかでこれからおこる出来事の全てを、口先の抵抗とはうらはらに待ち望んでいる、そんな気さえしていたのだ。
 「よかろう…。」
 その方は静かに「微笑んだ」。やわらかく閉じかけた眼(まなこ)から私の知らない「出来事」がこぼれていく。
 人ならぬ身におこる筈のない・・・しかしそれは・・・それを認めたのは…。
 私の頬・・・。
 私が・・・。
 涙に浄められる筈は・・・。
 「受肉せよ」
 「救いなき檻に自らを閉ざし・・・貪りて争い・・・
 天を睨みて憤怒の相もて罵るは汝(いまし)の業(わざ)・・・」
 「お前がそうしてことさらに「縁」を求めんとするのであれば、お前の望むままに…」 
 「我が呼びかけにお前が「縁」を見出したように、わたしもまた、お前の言葉に「縁」を訪ねよう。
 人の善きを量れるか否か・・・お前が人の身となりて確かめるがよい」
 「面向く土、その名 “GODIUS” と呼び称さば、今より汝(なんじ)この土にて生じ、またこれへ還るものとする」
 「ゆけ。覲(まみえ)て紡ぎ糾えよ。細き生綱の絶えたる前に・・・」
 これまでにないほどの喜びが、また、ひとたび掴んだ手のひらより解き放たれていくのを意識の深みに認めながら。
 重さと「境(さかい)」を持つ姿に変じた私は・・・それでいてなお抗う風を感じぬままに。
 距離では測れぬ遠い土へと運ばれていった・・・。

 そして・・・。

 「へ、へ、へっくしょいっとくらぁっ・・・っと・・・」
 ああ、まったくにして・・・。
 習慣ってのは恐ろしいもんで御座います。どうもこのくしゃみってな、自分の好きな「フレーズ」で「かまさ」ないことにはすっきりいかない。で、わたくしの場合がこれって訳で。最後に「・・・っとくらぁっ」をつけるのがポイントね。なんと言いますか「男っぽさ」を「さりげなく」アピールするような感じで。あ、ご存じない。くしゃみってのも一種の「絶頂に達してはじける興奮の解放」って・・・あら、そんな恥ずかしがんなくったって・・・ねえ。
 ま、ヨタはともかく置いといて。
 あん? 風邪、ひいちまったかな〜。
 綽々有裕(シャクシャクとしてユウあり〜余裕綽々)ってな感じで辺りを見回しますってーと・・・。
 いやー今日もいい天気で御座います。新緑芳る石畳の町並みはあいも変わらず立派な趣きでございまして。
 行き交う人様みなご健勝、生き生きと人生楽しんでらっしゃる・・・って、おいなんだい、あの鬱蒼としたツラ首の先に引っ掛けて歩いてるオアニイサンは・・・。
 オイオイ、やだよこの人ってば。手に人斬り包丁なんか握っちゃって。こりゃ穏やかじゃない。
 目がすわっちゃって、ありゃ、今に「なにやら」しでかしますな・・・って、あら。
 すたすたと町の真ん中にあるでっかい柱のふもと、皆さんが大勢する掲示板の真ン前に
陣取っちゃったりなんかしますってーと、このお兄さん、己が周囲に漂い浮かぶ、あらん限りの
空気をば、その胸と言わず腹と言わず五臓六腑に「これでもか!」ってな具合に溜め込みまして・・・。
 つのる恨みも津津と、大声からげ怒気からげ、耳があるならパンでも聞けと、えい!とばかりに吐き出した。
 「ぼけぇぇぇぇぇ!PK面白いかぁぁぁぁぁ!俺の染め鎧返せこんちくしょぉおぉぉぉおぉぉぉ!!!!!!」
 人込みの、静まり返るもほんの一時・・・ちらりと振り向く皆様の、頷(うなず)く深さも馴れたもの。
 いっときを待たずしてご歓談はほどなく再開、掲示板をご覧の方々も何事もなかったかのように
続けて堪能あそばされるという手際のよさ。
 一方、肩で息するお兄さん。此度まことにご愁傷様。命あってのモノ種、生きてるアナタが宝物・・・
などと説法ひねったところで傍杖(そばづえ〜とばっちり)頂くのが落ちってなもの、ま、ほっとくのが一番・・・。
 さて、いつまでも人様の不幸をかたわらにするのは互いの気の毒であるからして、ああ、こうしちゃらんない。
 「さてとっ、いきますか!」
 掛け声かけたはよかったが・・・。
 「・・・・・・あら?」
 あららららら?
 「あら・・・ええっと?」
 わたし・・・あらっ?
 「何処・・・行く途中だったっけ・・・?」
 てか・・・。
 「俺って・・・だれだっけ・・・」
 ひゅうるりら〜。
 ご丁寧に足元で一回転して・・・。
 無情の風が「お前なんて知るもんか」とばかりに吹き抜けていった・・・。

                                       つ、つづく・・・(のか?←オィ!)

 

第二幕  「実の無さだけ身に覚え」

 「こりゃ・・・まいった」
 余裕ってのは己が見えていないときほど量目(かさめ)も増して感じられるもので御座います。よもや自分が誰かも判らないだなんてェのは「これまで」に経験したこともなく・・・って嘘いっちゃいけない。あたしゃ、その「これまで」が判らないんだから。
 しかしどうにも落ち着きません。目の前を行き交う皆々様がこんな不幸な私をなんら顧(かえりみ)ることもなく、微笑を浮かべながら待ち人と落ち合い、そしていずことも無く立ち去ってゆくのを眺めておりますってーと、入れ替わり立ち代りで頭の数こそなんら変わりはしないものの、どうにももどかしく心細くもなってまいります。どなたか助けちゃくれないものか。お人のよさそうな方はけして少なくない様子。おっと、あの娘さんなんか如何ですかな。さてはひとまずお声をお掛けして。
 あ、ちょいとそこいくお嬢さん、いやぁ、「つかぬ」ことお伺いしたいんですけどね、そのう、へへへ・・・。

 あたし、だれでしょう?

 呆れてモノが言えません。因みにこれを「愚にもつかない」と申すとか申さないとか・・・。
 ああ、こんなお馬鹿な与太繰り返してるひまがあったら、少しは自分の素性を知る手がかりでも探すのが本来なのに、どうにも生来のお調子者の様子、よんどころない状態になればなるほど笑うに笑えない与太ばかりが次から次へと後をたちません。いっそ、この場で一席設(ぶちま)けるってのはいかがでしょ。ともかく目立てば、どなたかしら私を知るお人が目にとめて下さるかも知れない。さて、本日のお題・・・ああ、その前に座布団と扇子をそろえないと、いやだから与太はともかく・・・。
 「お兄・・・ちゃん?」
 小道具いらずは漫談か、立ってやるならこれ幸い、とばかりに手頃なネタを考えておりますってーと、こんな運びもあるものかと思わず握った右の手を「左の平」にぴしゃりと収めたくなるような展開。
 年の頃15かそこら、瑠璃色の長い髪を頭の後ろで結わえ上げ、まだ幼さの残る顔立ちながら、ああきっとご苦労なさっているのでしょう(このご苦労の原因、張本人ってのが・・・いえ、多くは語りますまい)、どこかしら芯の強そうなしっかりとした印象の娘さんが、不安げな眼差しをこちらに投げかけながら雑踏に一人・・・。
 これが懸想(けそう〜恋愛)話の一幕ならば、きっと周囲の雑音効果音は「そでの合図」でたちどころに打ち切られ、おりしも降り出した雨に外野はそこいらの軒の下へと退場、濡れるに任せた二人はもはや一言の言葉も求めず見つめ合うばかり、世界は二人の為に、あなたの物は私の物、私の物も私の物、ああ違った・・・。
 「お兄ちゃんっ・・・てば」
 兄を呼ぶのは妹か。察する処このわたくしの妹君であらしゃいますご様子のこれなる少女、こちらの振る舞い尋常あらざるを見て取ったか、多少気後れした様子で歩み寄ってまいります。しかしながら人目をはばかるように周りを窺がわれたとあってはこちらもすこぶる居心地が悪く、とは言えどうにか掴んだもうけもの、一縷の望みか頼みの綱か、贅沢言ってはばちがあたる。
 「ね、どうかしたの?大丈夫?」
 清らかな瞳が訴えかけてまいります。安心させて上げたいのはやまやま、然れどもそれに先立つこちらが不安だらけでは如何せんままならず、どうしたものかと思案に暮れておりますってーと・・・。
 と・・・。
  
 組換エト、使イ分ケ、オ前ハコノ上モナク不確カニテ概ネヲ悟ル・・・。

 眩暈・・・がした。得体の知れない力にまるで自分が解きほぐされていくような、それでいてこれまでの滲んでぼやけきっていた全ての感覚が一瞬にして焦点を定めるかのような・・・。少なくとも気持ちが悪いという感じではなかった。
 いや、それよりも・・・。
 霧が突然晴れ上がってゆくようにして、ひときわに冴えて立つ思考・・・この感じは・・・なんだ?
 情動の流れかた・・・人格が・・・変ってしまったかのような。先刻までの俺は?・・・いや、大丈夫。ちゃんとその気になれば今しがたみたいに与太も飛ばせそうだ。「あらら、なんとも雲行きが怪しくなって参りました。あたしゃいったいどうしちまったんでしょうか、さて困った」・・・問題・・・ない。けど、なら、今の俺は?・・・今の俺は「今まで」何処に消えていた?
 「お兄ちゃんっ、あの、ホント、どうかした?ね、なにか言って?」
 そこには・・・込み上げる不安を隠すように作り笑顔で俺を見上げ続ける・・・矢切(やぎり)がいた。矢切・・・今、俺のあごの下で馬鹿正直に目に涙までにじませ、俺のことを心配する―他人がどう言おうと関係ない―この世にたった一人の、俺の可愛い妹だ。
 「やぎ・・・り?」
 記憶が鮮明によみがえれば、こいつが自分の身の上の辛さで泣くような気性ではないことも知れて。「俺のコト」を心配するあまりにこいつは今・・・。まずい。何か言ってやらないと・・・こいつ今にも壊れちまう、限界って感じがする・・・。
 俺はすかさず「くは〜っ」っと一声あげると天を仰いで額を叩いた。白々しいくらいに小気味よく響いたピシャリと言う音は、有無を言わさぬ横暴さでもってそれまでの湿った空気を払拭する。
 「こ、こいつァしまった!まさか矢切ちゃんだったとは!いやいやこいつァすみません!何処の「とてシャン(とってもschon/美人)」かと思ってすっかり見とれちまいました、いやこれは不覚!」
 糸目になるくらいににや〜っと笑って、俺は意地悪くも大仰な身振りを加えて矢切りの顔を覗き込んでやった。
 判った。そうだ、この感じだ。俺は「内側」ではひどく淡々と物を考えながら、それでいて普段から「外側」ではおどけてこんな口調で喋ってばかりいたのだ。何をどう間違ったか、このふざけた感じが「内側」にまでのめりこんでしまっていたのだろう。
 いやはや、まったくにしてあきれ返るとはこのこと、我ながら仰天する次第で御座います・・・そうだ、気が向けば「内側」でも、たまにこんな風に考えたりもしていた・・・気もする。・・・気もするんだが・・・。
 「ひ、ひっどーい!・・・からかってたの!?」
 あらら、ホントに泣きだしちゃったよ。しゃーない。最後まで付き合ってやんないとな。
 「そりゃもうからかってましたとも。いやぁ矢切ちゃんは実にからかい甲斐があってたいへん結構、にしししし」
 「・・・・・最低!知らない、も!」
 なんて・・・いつもの兄弟漫才やりながら・・・。
 全てが氷解したかの様でいて、むしろ泥沼のように不安が深みにはまっていくのを、それは矢切を前にしておくびに出しこそしはしなかったものの、俺は鬱蒼とした胸の内に思いやっていた。何にも増して・・・一時たりとは言うものの俺は自分を完全に見失っていたのだ。このさき何がしかの惨事に自分が見舞われるのではないか・・・いや、俺だけなら恐れることはない筈なんだが・・・。
 に、しても、惨事、か。
 ・・・ははっ、そういやぁ・・・。
 俺の通り名は「惨事のあなた」って言うんだっけ。

 イウンダッケ・・・。

 他人事みたいに・・・言っていた。
 

 

第三幕 「吾綜梶~吾綜梶v(アタシのじじょう)

 柔らかい湯気を立ち上らせる心地のよい温度。湯船の中で。緊張していたのか知らぬ間に固くしまりきっていたあっちこっちの筋肉を引き伸ばしてはほぐしながら、ふと目を遣ると。町のはずれの貧乏長屋、今更世間体を気にする必要もない開けっぴろげの暮らしぶり宜しく大きく開ききった風呂場の窓の向うに、ぽっかり浮かんだお月様が眺めの映えになっていた。
 夕飯時の賑わいがさざめく音の広がりとなって、次第に下町の隅々、佇(たたず)まいの「軒下」にまで伝わっていく。あいてる窓に遠慮がないのはお互い様、近所で交されるやりとりも、湯船に浸かって人心地ついてるこちらのことなどお構い無しに飛び込んでくる。カミサン連中の井戸端会議、仕事帰りの旦那達の互いを労う挨拶、親の呼ぶ声、子の応える声・・・。うーん。
 俺・・・この町で生きてるんだなぁ。
 掬水にした湯を顔に打ちながら。矢切に言ったらオデコで熱はかられそうな「あたりまえのこと」を何気に感慨深く心の中で俺は呟いていた。
 この町、ラスランで暮らしている・・・暮らしてきた。
 すこし、振り返ってみようか。おあつらえ向き、湯舟の中だ。のぼせたくなきゃ嫌でも途中でやめるだろうし。
 自分に自信を取り戻す為にも・・・。目をつぶって・・・背中を湯縁り(ゆべり)に預けて・・・。

 まず、俺は名前を「惨事のあなた」と言う。勿論通り名だ。ホントの名前は内緒にしてる。ギャップがね、ひどいのよ。今年でかなりの「イイ歳」になってしまって・・・って、これ、だいぶ前から言ってる気が・・・。見た目はそれほどでもないつもりなんだけど、どうにも喋らせるとオッサン臭さがそこかしこににじんでいるんだとか(そりゃそうだよ、「あんな」喋り方じゃ・・・)。で、一応この世界で冒険者、等と言う職業を生業にしている、って・・・ああ、すこしこの世界のことにも触れとかないと・・・。

 神様と悪魔の戦い、神の勝利、休息に入った神はやがて姿を巨大な大陸に変えた。時は流れ・・・大陸に生まれた民と海の彼方から渡ってきた民との間で戦が起こり・・・勇者の活躍と怒れる神の介在によってひと時戦は終結した・・・が、両王国王族間の軋轢から戦争が再発、人々の憎しみと憂いははるか太古に駆逐された筈の怪物たちまで呼び寄せる結果となった。現在この世界で暮す人々は戦争に名を借りた「野放しの殺戮」と「日に日に数を増す怪物たち」、この二つの脅威に怯えながら、来たるべき救いの時、すべての苦しみから解放される時を、まさに「神にすがる」思いで待ち望んでいる・・・。

 で、大陸に生まれた民ってのがベルク人、海の彼方から渡ってきたのがタペリの民。俺はベルクの人間でベルクの町の一つ、ラスランで暮らしている。それでもって冒険者ってのをやってるんだが・・・。
 これ、早い話が「怪物討伐」の仕事で・・・怪物を倒すと時たまにお金、落っことすのね。それがそっくりそのまま生活費に充てられていて・・・まぁ、こんな世知辛い理由で冒険者なんぞやってるのは俺くらいのものだろうか。大抵の冒険者は、文字通り冒険をする為に自らを鍛え精進に明け暮れ・・・いつの日か広く世間に名の知れた真の勇者足らんことを夢見て日夜修行に励んでる訳で・・・。
 ま、そんなモノに憧れた時代もなくはなかったけど。遉(さすが)にこの歳にもなって若いオアニイサンたちと勇者の誉れを競い合うってのも中々酷な話しに思えるしね。で、いつしかただの「町のご近所怪物専門片付け屋」になってしまったと言う・・・。こうなったのにも色々理由があるんだが、自分の腕のなさはともかくとして要因のもう一つってぇのが・・・。
 「お兄ちゃーん、着替え、置いとくからね!」
 若い身空で男物の下着なんぞを平気で用意してくれる・・・矢切に、あった。・・・ひとまずは、えーと、言っときましょう。
 「矢切さん・・・気持ちァ嬉しいんですがね!吾綜梶iアタシ)、着替えは自分で風呂出てから用意するって言いませんでしたっけ!」
 しーん・・・。互いの腹の中探りあうこと三十猶余秒。って、あら、お返事なしときましたか。めげませんから吾綜梶B
 「矢切さーん?」
 「お兄ちゃーん、着替え、置いとくからね!間違っても裸で家の中うろつかないでね!」
 やぶ蛇でした・・・。
 矢切・・・一応こいつも俺みたく「通り名」をもっている。「矢切のわたし」がそれだ。ホントの名は「クレピス」って言って、「桃色タンポポ」っていう中々洒落た意味がある。なんでこんな妙な通り名を持っているのか。実はこれ、通り名ではなくある種の「芸名」なのだ。早い話、うちの家系はなんでも旅芸人だったそうで、代々この家に生まれた者、また外から嫁いだ者は本来の名前とは別に芸人としての通り名を名乗る義務があった・・・んだとか。で、俺の名前は昔にベルクで流行ったロングランのトークショー舞台「3時のあなた」のもじり、矢切はこれまたベルクで一昔前にヒットした「リビュレットたかし」が歌う「矢切りの渡し」からとってつけられた(まさしくとってつけたような)名前だった。因みに親父の名前が「厄用妖迷酒」おふくろの名前が「不敵な奥さん」と言う・・・親父はともかくオフクロよ、よくこんな名前の男の処に嫁ぐ気になったな・・・(おふくろのホントの名は「アラビス」って言って・・・やっぱり花の名前だ。どんな花かは知らないけど)。あ、しまった。俺もヒトのコト言えない名前でやんの。
 
 ともかく。俺が本物の冒険者にならず仕舞いになった一つの理由に矢切の「危険なことはしないで!」って言葉があったことは間違いがない。初級冒険者が殆どを占める、この町のとなりのラムパス湿原に俺が繰り出すことすら矢切には胸の詰まる思いなんだそうな。ましてや・・・中央平原は言うに及ばず湿原の向う、サンティホール盆地に俺が足を伸ばすだなんて言おうものなら・・・俺を叱り飛ばすよりも先に、きっと矢切は涙ながらに「お願いだから」と懇願するんだろうなぁ。
 なにも・・・そんな処ばっかり死んだお袋に似てくれなくたっていいだろうに・・・。
 「さてと・・・」
 これ以上進めると話が煮詰まってしまいそうな気もして。ん、自分の素性を遡って確認するには十分すぎるくらいだ。多少、自信も取り戻せた感じだし。丁度いい、潮時だろう・・・と、湯船のへりに両手をかけて身を乗り出そうとした、その途端に。
 「あ・・・れ?」
 ふいに襲う嫌な感覚。あの時と似た・・・眩暈?
 耳鳴りと共に目の前が真っ暗に沈んでいく。暗黒の視界に淡い光の粒子が乱れ飛び・・・どんがらがっしゃん・・・なんて音がどっかで聞こえ・・・あ、なんだか肩のあたりに激痛がはしった。前後して冷っとした固い感じのものが体の側面に押し付けられて・・・もしかしてこれ、洗い場の床・・・なのか?・・・あ、冷たい感触が頬に不思議と心地よい。
 「お兄ちゃんどうしたの!」
 矢切りの声が遠くに聞こえる・・・。
 「どうしたどうした!すごい音がしたなおいっ!」
 頭の上のほうで(後で判ったんだけど驚いて窓から覗き込んでたらしい)、どっかの旦那の声も・・・。
 「ちょいとっ、だいじょぶかいっ!?」
 「あらやだよー、どうしたの、だいじょぶなのー?」
 誰だろう・・・とりあえず近所のおばちゃん連中だろうか、女の人の声・・・。
 「すっ、すみません!なんだか、あの、お兄ちゃんのぼせちゃったみたいで・・・!」
 再び矢切ちゃん・・・。え・・・そうなの?・・・俺もしかしてお風呂場で倒れてたりなんかするのね・・・。たしか最初の話じゃのぼせる前にでるつもりだったんですけど・・・。
 「とにかく運ばないと!いやァお姉ちゃんには無理だ!ここ開くかい!?」
 「あ、開きます!カギかかってません!」
 そういや・・・ウチの風呂場は洗濯物出せるよう外に通じる戸がついてたんでしたっけ・・・。
 「ああぁ、一人じゃ無理だ!いやお姉ちゃんはいい!おおい誰か手ェすいてるのいねぇか!」
 「どしたぁ!」
 「なにごとだ、一体!?」
 さてもさても・・・。泣けるくらいの下町人情、みなさん親切なことで御座います。一々上げはしませんが耳に残っておりますだけでも十人以上の人だかり・・・加えて申し上げるなら声色の半分以上がご婦人のモノ。どうでもいいことではありますが・・・。
 吾綜梶A風呂に入っていた訳で御座いまして・・・その、ようするに・・・。
 えー、うまい言い方みつけました。

 今回だけは矢切ちゃん、お願いですから「目ェつぶって」ください。

 あいやお粗末・・・(なにが?って・・・あのねえ・・・)。
 

 

第四幕 「男冥利と悪魔が笑い」

 「信仰する人間に・・・もっとも必要な条件ってなんでしょうね・・・」
 酒場にて・・・。
 やわらかくまとわりつくようなオレンジ色の燈し火が、けして狭くはない店の中を「人肌の居心地」で満たし、そこに憩う者達が望むままの程よい混み具合―両端の壁が引き寄せられたかのような錯覚を呼び起こすほどの不思議な閉塞感―を醸し出していた。不平する口をさえぎる温かな食事と、そこかしこでくゆらされる火種の先の煙とによって嫌味なく演出された団欒の空気は、たとえばこうして誰とも席を交えずに酒場の隅にせめてもの居場所を求める俺みたいな輩でさえをも、冷たくあしらうことなく必要な背景の一つに据え置いてくれる。自分とは何の関わりもなく「かた頬の向こう側で」やりとりされる冒険者達の談笑が、貸す必要もなく蓋を知らないだけの耳の奥に心地よい。
 あれからほどなく。理由はさておき軒下の縁台で風流にも夕涼みなんぞ洒落込んでから・・・(縁台に仰向けになって・・・いや、服は遉(サスガ)に着てたけど、道行く人がみんなじろじろ眺め「下ろして」・・・どうにか正気に戻った頃には背中にくっきりシャトランジ(将棋)の駒の跡がくっついていたと言う・・・近所の旦那連中が夕飯前に一勝負繰り広げていたらしい、「逃げ遅れた」歩の駒がどけとばかりに人の背中をつっついて・・・道理で痛いと思った)。
 頃合宜しく見計らったかのように調子を取り戻した俺は、矢切の用意してくれた晩飯もそこそこ、「すこし冷えすぎた」だなんてもっともらしい理由をくっつけて。当然の帰結と言わんばかりに「体の内側から」暖をとる必要をほのめかすと、それでもまだ多少ふらつく足取りではあったものの・・・気分も軽やか、酒の匂いを頼りに追えば目をつぶってでも「いずれは」たどり着こう馴染みの酒場へとしっかり足を運んでいたのだった(どのみち帰る頃にはいつも通り足元ふらついてるんだろうからって・・・俺も、学習しないよなぁ)。
 「信仰の・・・条件、か」
 誰にともなく繰り返し・・・。やだねぇ。杯に問い掛けるほど歳食っちゃいないつもりなんですけど。
 「なんの話です? ・・・お替りお持ちしましょうか?」
 客の独り言をさりげなく拾いながら。花形の女性ウェイトレスの影においやられ普段は誰の目にもとまらない、ホール係の若いお兄さんが気を効かせて水を向けてくれる。労(ねぎら)いの一つも返そうかとこちらが口を開きかけた矢先に、よそのテーブルで大きな笑い声が上がり・・・伸びた背筋の肩越しに軽く臨んで笑顔で見送ると、こちらに向き直って盆の上の銅(かね)の酒盃を、お世辞にも豪勢とは言えない二品のみの皿で飾った寂しいテーブルの上に、「色をそえて」差し出してくれる。
 「おっ、本日のお薦めですかな」
 そえられた色・・・注文もないままさりげなく置かれた一品の料理がサービスであるとは知りながらも、とぼけてこれくらいは言っておくのが酒飲みの礼儀たるものでしょうか。
 「とんでもない!サービスです。召し上がらないようでしたら飾っておいてあげて下さい」
 「痛み入ります・・・」
 神妙な面持ちであご先を頷かせて。むしろ幾分行儀の悪い方が喜んでもらえるだろうとつまみの一切れを手掴みにすると、口先に咥えて笑ってみせる。これでも吾綜鰍ネりにウマイって表現してるつもりなんですけど、伝わってますかどうか。
 「ところで・・・なんです?信仰の条件って・・・」
 ああそうでした。
 じつはこれ、自発する問いでもなんでもなく、ただの宿題だったりしまして。さもなきゃ誰がこんな小難しくも仰々しいお題を持ち出したりいたしましょうか。
 「いやちょいとね・・・」
 あごをかいて天井に助けを求めることしばしののち。或いはそこに答えでも書いてあるのかとばかりに一緒になって上を覗き込むお兄さんに何がしかの親しみを感じつつおりますってーと・・・。
 ほとほとに馴れ合いきって暖かくも澱み始めていた酒場の空気が、すうぅっと引き潮の如く退き、一迅の爽やかな風が店内に舞い込んで参ります・・・。
 「・・・・・・」
 店にいる男の客の殆どが一瞬にして息を呑み、スウィングに釘付けになる次第・・・。夜露を忍ばせ冴え渡る空気、漆黒の夜気を従えて。青みをおびた女物のマントの襟を正しつつ現れ出でたる人影が一つ・・・。
 涼しげな目許に灰紫色の瞳。小作りの口元はいたって上品なれば容姿端麗とは正にこのこと。聳やかなるシルエット(そびやか/すらりと背の高いさま)をさらに際立たせる白銀の垂髪(すべしがみ/背で束ねて流した髪)。いやはや、これを放っておいては男の恥、据え膳食わぬは・・・って、別に据えられた訳じゃありませんが。それにしても・・・ああ、嫌な展開。
 店中がいっぺんに静まり返るだなんてのはよっぽどのことでもない限り起こるものではありません。しからば全体としての喧騒がわずかながらに押さえ込まれるに留まり・・・それまでの話題を用いて無難な音量を保ちながらも、確かにこれなる人物の歩みに合わせて「沈黙のウェーブ」がテーブルからテーブルへと引き継がれて行くのは仕方のないことで御座います。静寂の行き着く先、終点はご想像の通り、吾綜鰍フ席という寸法。周りの視線がこちらの背中に突き刺さるのをひしひしと感じます。
 「い、いらっしゃいませ」
 固唾を飲んでお兄さん。先刻の話題なんぞはトウに天井こえて屋根の上にまでおっぽり投げてしまっていることでしょう。いやぁそれでいい。あなた様の反応はすこぶるノーマルなもので御座います。然れども。吾綜鰍瘻スくは語りたくありません・・・。
 さて一方の「女物マントの御仁」はこちらの手元の杯を確かめると、
 「おなじものを」
 と深みのある美しい声色でただそれだけを呟き顔を赤らめるウブな店員さんを追い払いまして、吾綜鰍フ「といめん」にご着席あそばされるので御座いますが・・・ええーと、さて、そろそろ帰りの仕度を・・・。
 「どうした惨事?次の店ならつきあうぞ?」
 っひぃぃぃぃぃぃ!こっ、こいつ、人の一挙手一投足、完璧に見抜いてやがるっ!
 しかも「俺が」貰ったサービスのサイエーフ風サラダ、勝手にシャリシャリ食ってるし!
 「ん、フェタチーズがまた、なんとも・・・あ、コミサルバがきいてて・・・美味し」
 こっ、この野郎っ・・・!
 え?・・・女性に対して「この野郎」はないでしょう、って? じゃ、とりあえず・・・。
 「吾綜鰍ェ言うのもなんですが・・・男性客の方達、みなさんアナタのこと意識して・・・らっしゃいません?」
 本人も気づいちゃいるだろうがあえて振ってみる。
 「かまわんよ。私は偽ったことはないのだから」
 あら、しれっと言ってくれちゃって。
 「ほほぉーう、口説きにきた奇特な御仁がよもや信じるとでも?」
 不敵な笑みをうかべた俺、挑発するようにぐぐっと面前の小さな顔をのぞきこむ。
 「信じるもなにもないだろう?」
 多少不愉快そうにマユをひそめて・・・。俺だって未だに信じられない・・・。けれどこいつは、口にするのだ。

 「私は・・・男なのだから」

 ・・・・・・。
 ・・・それを知ったのは二人して酔っ払って泊まった宿屋にて翌朝のこと・・・「間違い」こそなかったものの・・・こいつ、平気でヒトの布団にもぐりこんできやがって・・・驚いたのもさることながら・・・勿体ないと思ってしまった俺は、やっぱり人間失格なのだろうと、少しばかり・・・自己嫌悪、した・・・。

 さて。
 これまでの運びでは、ここらで一息つきまして革めて次の場面に移る処なのではありますが。
 そうは問屋がおろさなかった。
 「ところで惨事・・・」
 ヒトのイタダキモノをあらかたかづけておきながら、こちらの顔色を伺う気なぞハナからないと言わんばかりに目を閉じてお行儀良く口元をナフキンでぬぐうと、今更ながらに思い出した呈を装って話をもちだしてくる。
 「そろそろ逃げる準備をしておいた方がいいとおもうよ?」
 視線をそらして・・・さも切り出しづらい内容を暗示させるかの表情。幾分体をひっこめつつ言うものだからついついこちらが身を乗り出してしまう。深刻な面持ちで上目遣いに俺を見据える紫色の瞳。冗談でも言うのかと思えば・・・多少本気でこちらも身構えた方がいいかもしれない。俺がまだ気づいていないだけで・・・この雰囲気では何がしかの危険を感じ取っている可能性もある。これまでの付き合いで承知している。こいつの状況判断能力の鋭さは少なくとも俺如きの及ぶ処ではなかった。
 「こいつァまた、どうか・・・されましたかな?」
 口元をゆるめ鼻先であしらうかのような余裕の表情をテーブルの上につきだして・・・察しのいい輩に気取られぬよう、今の今まで緩ませきっていた身の回りの気配はそのままに、俺は内側の感覚を可能な限り研ぎ澄ました。何が・・・起こる?
 「ひどいことになりそうだ・・・」
 目くばせのみでさりげなく周囲を伺う卒のない挙動・・・言葉にすることをためらい、ひとたび開きかけては沈黙に結ばれる鮮やかな口びる。まっすぐに俺を捕らえる幻想的な色味の双眸が大事なことを伝えようと語りかけながら近づいてくる・・・。耳打ちでもするつもりなのか席から腰を浮かせ、軽く片手をついたテーブルの中央を越えて何処か寂しげな笑顔が俺の面前に迫る。
 気づけば随分至近距離にまでその顔は近づいてきていて。でもって・・・。チョトまておい・・・。おい・・・。おいおいおいっ!
 「おい・・・一体どうし・・・」

 !

 どうし・・・「た」の音が言えなかったのは・・・よかったら、「た」って発音してみて欲しい。口びるが僅かに開いてしまう筈。これを「誰か」に「ふさがれて」しまったら・・・。ふさがれて・・・。
 しまった・・・。
 シマッタ・・・!
 Simatta・・・!
 死舞っ田(変換失敗/ボケてる場合じゃない)
 
 ともかく・・・。
 初恋のキスのお味はなんとやら。堪能するほど若かない。胸高鳴らしてる場合でも(ついでに言えば初恋なんていつのことやら・・・てか、誰かに惚れるたんびに「初恋です」だなんてのうのうとほざいてるし)。
 店に集まる全ての客がついぞその場に吐き出した自らの息を、銘々たちまちに吸い上げ片付けてしまったかのよう。普段は気にとまることもなく聞き捨てられるただの他愛ない衣擦れが、音のない世界を背景にこの時とばかりハスキーな色味を湛え、その存在の有意義なるをしばらくの間耳の底に語りかけ続けてくる。
 「いつもの場所で落ち合おう、惨事」
 人聞きも臆せず意味深なセリフを俺の鼻先に投げかけながら・・・退いて行くいたずらな表情は馬鹿の欲目か不思議と満足そうにも見えたりもして。
 自失する俺の、その表情の傍らにやさしく添えられていた手の平〜育ちの偲ばれる形の良い指先が、柄にもなく赤味を覚えた小心な頬をなぞりながら、全ての出来事を幻と語るかのように追うことのかなわない虚空へとほどかれていく。あまりの成り行きに呆然とし、視線すら動かせぬまま優雅な立居振舞に余韻して翻るマントに目の前を覆われれば・・・ほどなく我に返った時には、そのうしろ姿が酒場の入り口に消えようとしていた。
 それはあたかも宙を舞うひとひらの羽毛の如く・・・捕まえようと手を伸ばせば無情にもすりぬけて。
 「いつもの場所・・・。もっとも・・・無事にこれたらの話だけど」
 闇に預けて窺い知れぬ微笑む横顔の向こう側は如何ばかりのものか。引き止める言葉も見つけられぬまま、ためらいがちに席を立てば。
 「よお・・・色男・・・」
 背後に生ずる色濃い殺気。何の気なしに振り返った己が眼(まなこ)に飛び込んできたのは・・・天獄から地獄を絵で書いたような光景。
 あらぁーっ・・・。
 いつのまにお集まり頂いたので御座いましょう。気づけば己が周囲は丈(たけ)もウワ手な人の群れに取り囲まれておりまして。強面(コワモテ)なアニさん方がお誘いあわせの上でお越しになられ、隆とした二の腕の先の今となっては使い道の一つしか思い浮かばない節ばった拳骨をばポキリポキリとそれはイイ音させながら、「この上なく親しみ深い」笑顔をこちらの頭の上から一同惜しみなく投げかけてくるので御座います。
 「見せつけてくれるじゃねぇか・・・」
 きっと深酒がたたっていらっしゃるのでしょう、居並ぶ皆々様、そろってデコのあたりに青筋なんぞを浮かべちゃったりなんかして。
 「すこし・・・頭ひやしな」
 男同士の間柄で折につけ交される、にやぁ、なんて言わずもがなの笑顔に「ひきつり笑い」でこたえては見るものの。とは言えこれより先のご厚情はいくらなんでも頂けない。ご辞退する旨察してもらおうと心持ち半歩さがれば「どうぞご遠慮なさらずに」とばかりに要らぬお世話の「壁板」が親切に背中を押し返す。やれさても、背水の陣とはこれを言うのか。いや、うしろが川なら仰せのとおり、トウに飛び込んで頭冷やしている処ですが。
  えーまったくもって誤解で御座います。いまの美形は実の処男の方でありまして・・・なんて言っても火に油を注ぐようなもの。アルコールが隅々にまで染み込んでいて、ただでさえ「点き」がよくなっているってのに。
 にじり寄る荒くれどもの大柄な影が床を伝い、じわじわとこの身に這い登ってくる。人の垣根にさえぎられ、差し込む光もあらざれば、お先真っ暗とは正にこのこと。いや、だから与太はともかく・・・。

 誰かぁ・・・助けてぇ・・・。
 

 

次作品へ、乞うご期待
 


 うーん、江戸弁と現代語は、どのようなタイミングで交差するのだろう・・・読めん。さすが! <− ☆オクタ☆